
高知競馬新聞:https://www.kochinews.co.jp/article/detail/298445
ハルウララ 牝馬 鹿毛 | |
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生年月日 | 1996年2月27日 |
獲得賞金 | 112万円 |
戦績 | 0-5-7-101/12(113戦0勝) |
父 | ニッポーテイオー |
母 | ヒロイン |
調教師 | 宗石大 |
生産牧場 | 信田牧場 |
1998年〜2004年までの7年間、ハルウララは高知競馬で活躍しながらも生涯一度も勝つことができませんでした。クビ差まで迫ったレースがただ1レースあるのみで、競走馬としては如何ともし難い戦績です。
しかし、負けても負けても頑張って走り続ける姿は多くの競馬ファンを魅了し、なんと『負け組の星』として小さな子供からお年寄りまで幅広い人たちに愛されていったのです。
ハルウララは社会現象を巻き起こし、存続の危機だった高知競馬の救世主となりました。映画『ハルウララ』ではハルウララブームの裏側、高知競馬関係者の心情や実情まで詳細に描かれています。
綺麗事だけで済まされない競馬の世界、華やかだけが競馬ではありません。
それでは、日本競馬史に名を刻む『ハルウララ』の戦歴を振り返っていきましょう。
ハルウララはどんな馬?臆病でクセのある臆病な女の子
サラブレッド(メス馬)の平均馬体重が460kgであるなか、ハルウララは400kgにも満たない小柄な馬体でした。
性格も非常に臆病でクセがあったため、競走馬に適さない弱い馬と考えられたていたのです。
デビュー前から期待されていない、そんな馬でした。
デビュー戦は5頭立ての5着
ここから連続連敗記録を113まで伸ばすことになります。
うえの画像はウマ娘プリティーダービのハルウララ、
アプリやアニメについては最後に紹介するのでぜひ読んで頂ければと思います。
なぜ113戦もしたのか?
サラブレッドはレースに勝って賞金を稼がなければいけません。
勝てない馬は殺処分、目を背けたい現実が競馬界にはあるのです。
宗石調教師は「走れるうちは走らせてやりたい」という思いから、
負けても負けてもハルウララを手放さず、出走することで出走手当を稼ぐ必要があったのです。
これがハルウララの生きる道でした。
結果、引退まで113レース、ザックリ2週間ごと、年間平均20レースも出走し続けたのです。
ハルウララに武豊騎手が騎乗した「YSダービージョッキ」はワシントンポストで報じられるほど注目された
当時の高知競馬は一度でも赤字を出せば廃止になるという待ったナシの状態でした。
赤字を打開したい高知競馬関係者は、ハルウララを売り込むことにしたのです。
『臆病で小さくて弱い女の子が、負けても負けても頑張って走り続けている』
と。
この情報をマスコミに流すと瞬く間に全国へ広がり、
待ったナシだった高知競馬へ観客、マスコミが押し寄せ、社外現象へと発展していきます。
100連敗となる節目のレースでは、5000人を超える観客が高知競馬場へ押し寄せました。
そして高知競馬史上最高の単勝馬券売上額を記録したのです(301万円)
- 頑張れ!!ハルウララ
- ハルウララを応援する
- ハルウララ100戦記
- ハルウララ観光功労者
- 春うらら…あすなろ特
- 『ハルウララ賛歌』発
- URARAサマーレイ
- ハルウララ・チャレン
多くのハルウララを応援するレースが開催され、
迎えた第106戦目
『日本競馬界を代表するトップジョッキー武豊がハルウララに騎乗してもらう』
という高知競馬のアイデアが現実のものとなりました。
YSダービージョッキ(2004/03/22)
社会現象となっていた様子が良くわかる動画
このレースには観客1万3000人以上が押し寄せ、入場制限が掛けられました。
馬券売上は5億1163万円、
単勝馬券だけで1億2175万円の売上を記録、
もちろん高知競馬史上最高売上、
アメリカはワシントンポストでも報じられるほど世の中から注目されたレースとなったのです。
結果は11頭立て10着
106敗目となりました。
武豊騎手はレース後インタビューでこのようにコメントしています。
「まったく走らないことはないですねでもね、うーん、ちょっと足が遅いだけです(笑)」
3分14秒〜
ただし難色もあった
生涯で一度も勝ったことがない馬が、GIレースを勝った馬達よりも注目を集める対象になるというのはどうにも理解し難いものがあります
武豊後日コメント
武豊騎手はこのようにも述べています。
たしかに、競走馬はレースで勝つために調教されるのであって、
負けて注目されるとなれば競馬本来のバランスが完全に崩れてしまうためです。
- 予想する楽しさ
- ギャンブルとしての側面
- 速く走ることがサラブレッドであるという概念
武豊騎手のコメントは競馬の本質を表現しているものと言えるでしょう。
時代が人気にさせた側面もある
当時を振り返ると「リストラ」「倒産」「派遣切り」バブル崩壊後の平成不況時代でした。
負けても走り続ける姿は多くの人に勇気と希望を与え、
ハルウララと自分を当てはめ思いを乗せる人が非常に多かったのです。
- 一度くらい勝って欲しい
- 一度くらい勝ってもらいたい
- ハルウララ頑張って!
そうやって付いたあだ名が『負け組の星』でした。
ハルウララは時代からも後押しされ人気になったのです。
CDデビューも
ハルウララの絶大な人気に乗り多くのハルウララグッツが販売されました。
そのなかでCDも発売しています。
ハルウララ現在はどこにいる?引退後の話
競争歴は2004年8月が最終レースですが、計画では2005年3月に引退レースを行う予定でした。
しかし体調が万全でないため先延ばしになり、そのまま引退レースを行わず2006年10月に登録抹消になっています。
なので事実上の引退は2004年ということになります。
引退後のハルウララは一度消息不明になるものの2013年に発見、
現在は千葉県御宿町のマーサファームで余生を送っています。
予約を取ればハルウララに会うこともできます。(現在25歳)
人間の寿命で言うとゆうに100歳を超える長寿、チャンスがあるなら訪れてみるのもいいですね。
春うららの会
引用:https://mf-urara.jimdo.com/%E5%85%A5%E4%BC%9A%E6%A1%88%E5%86%85/
2013年からマーサフォームで過ごすハルウララですが、
半年ほどで馬主であった安西さんが消息を断ち、預託料が支払われなくなりました。
事実上捨てられた身になってしまったハルウララ
「人間を楽しませた馬が人間の都合で消え去るかもしれない...」と飼育員である宮原さんのアイデアで『春うららの会(1口3000円)』が立ち上がります。
ハルウララは未だ多くの人に愛され、寄付によって生活費を得ています。
交通安全ポスターで活躍!
引用:木更津警察署が御宿町に住んでいる人気の元競走馬ハルウララに感謝状を贈呈!
ハルウララの馬券は「絶対当たらない馬券」と言われ「交通安全のお守り」としても人気を集めました。
これに便乗した木更津署の発案で、引退後のハルウララを交通安全ポスターに起用、
感謝状とニンジン600キロが贈られています。
ウマ娘プリティーダービーで人気再爆発!
まさかまさかのハルウララが重賞レースで勝ち馬、いや勝ち娘になっています。
セイウンスカイ、グラスワンダー、スペシャルウィーク
G1馬を有馬記念で蹴散らすハルウララが続出しています。w
あなたもハルウララを育てて1勝を勝ち取りましょう!
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ハルウララまとめ
マーサファームで過ごすハルウララ
引用:https://www.kochinews.co.jp/article/detail/298445
- 小柄で臆病な女の子、現在の飼育員である宮原さんは「わがまま」とも話している
- 宗石調教師が「走れるうちは走らせてやりたい」という思いで殺処分にならなかった
- 負け続けることで人気になり、高知競馬の救世主となった
- あだ名は『負け組の星』
- 武豊騎乗のYSダービーで高知競馬史上最高売上を記録
- 現在は千葉県のマーサフォームで余生を過ごす
ハルウララは記事でまとめられるほど薄い馬でないと思います。私を含めたくさんの人の思い、現実が交差する世の中を走り続けた馬だからです。映画『ハルウララ』では一連の社会現象を含めハルウララの現役時代を描いています。おすすめという言葉では足りません。競馬ファンなら必ず一度は見て欲しい!
ハルウララを知るための最高作品です。