
JBISサーチ:https://www.jbis.or.jp
トウカイテイオー 牡 鹿毛 | |
---|---|
生年月日 | 1988年4月20日 |
獲得賞金 | 6億470万円 |
戦績 | 9-0-0-3/12(12戦9勝) |
父 | シンボリルドルフ |
母 | トウカイナチュラル |
調教師 | 松元省一 |
生産牧場 | 長浜牧場 |
3度の骨折を経験しながら364日明けの第38回有馬記念(1993年)を制したトウカイテイオー。このレースは『奇跡の復活』と題され今なお受け継がれる伝説のレースとなりました。トカイテイオーの全てをまとめたナレーション付きDVDでは当時のままの映像が残っています。
日本競馬史に残る伝説の有馬記念、
トウカイテイオーの歴史、特徴、走りを振り返っていきましょう。
『奇跡の復活』競馬史に刻まれた第38回有馬記念(1993年)
1992年の第37回有馬記念で、トカイテイオーは1番人気に推されながらも出走直後のアクシデントにより最後方を追いかける展開となりました。持ち前のキレのある末脚も伸びず、結果は11着と惨敗、ケガの回復を優先させることになりました。
事後、宝塚記念を目指し調整をしていたものの、宝塚記念の1週間前に3度目の骨折が発見されるのです。
500kg前後の馬体を支えながら走るため、サラブレッドが骨折することはアクシデントでありながらも、実際は普通に起こり得るサラブレッドの宿命とも言われています。JRAも公式に「サラブレッドの骨折は宿命である」と発表しているほど。
とはいえトウカイテイオーは3度目の骨折であったため、「もうレースには出れないのではないか?」とまで言われました。しかしトウカイテイオーは諦めなかったのです。
惨敗となった1992年有馬記念から1年、ファン投票4位に選ばれたトウカイテイオーは第38回有馬記念(1993年12月26日)に出走します。有馬記念を走った次のレースがまた有馬記念という例外中の例外馬となったのです。
前年度1番人気だったテイオーは3枠4番に構え、単勝オッズ9.4倍の4番人気と人気を落としていました。
8枠から飛び出したメジロパーマーが3馬身ほど鼻を切り、3番手には1番人気のビワハヤヒデ、トウカイテイオーは2段目に構えますが内内を追走していたテイオーはスタンド前で外から来る各馬に抜かれる展開となりました。
カーブを利用してスッと外に出たトウカイテオーは向正面にかけて徐々に押上げます。3コーナーに入る頃には先頭集団に割り込むまでポジションを押し上げました。
スピードを活かし4コーナーを抜ける頃には3番手まで押し上げています。
ここから2頭の直線一騎打ちレースがはじまりました。
- 内:ビワハヤヒデ
- 外:トウカイテイオー
中山競馬場の最後の直線は310m(芝コース)
4コーナーをまわりグイグイ迫るトウカイテイオーですが、ビワハヤヒデもスタミナ溢れる走りで抜かさせません。
残り200m〜残り100mまではほとんど並走状態という激戦となります。
残り70m付近でついにトウカイテイオーが一歩前へ、
最後は2分の1馬身差での先着となりました。
3度の骨折を経験しながら、364日ぶりのG1レースで勝つという偉業を成し遂げたトウカイテイオー。
このレースは『奇跡の復活』と題され、今なお受け継がれる伝説のレースになったのです。
ウマ娘で描かれた『奇跡の復活劇』
「ウマ娘プリティーダービー」を聞いたことがあるでしょうか?
スペシャルウィーク、メジロマックイーン、サイレンススズカ、ゴールドシップなど1990年代を代表する名馬とともに、日本競馬史に残る『トウカイテイオー奇跡の復活劇』を描いたアニメです。
fa-arrow-circle-right『ウマ娘』見たら感動して涙が流れた話!30代男の萌え萌えウマ娘レビュー
あのテイオーステップも再現され、競馬ファンなら絶対感動する最高傑作!
テイオーステップってなに?
トウカイテイオーはレース前(返し馬中)に、斜めを向きながらトコトコ歩きます。
この歩き方がダンスを踊りステップしてるように見えたことから『テイオーステップ』と呼ばれるようになりました。
実際の動画がYouTubeに上がってるのでぜひ見てみてください。
超ーーーーー可愛いです!
テイオーステップ
トカイテイオーはどんな馬?戦歴・骨折歴まとめ
12戦9勝
トウカイテイオー歴史 | ||
---|---|---|
1990/12/01 | 3歳新馬 | 1着 |
1990/12/23 | シクラメンS(OP) | 1着 |
1991/01/19 | 若駒S(OP) | 1着 |
1991/03/17 | 若葉S(OP) | 1着 |
1991/04/14 | 皐月賞(G1) | 1着 |
1991/05/26 | 東京優駿(G1) | 1着 |
骨折 | 左第3足根骨骨折 | 1回目 |
1992/04/05 | 産經大阪杯(G2) | 1着 |
1992/04/26 | 天皇賞(春)(G1) | 5着 |
骨折 | 右前脚の剥離骨折 | 2回目 |
1992/11/01 | 天皇賞(秋)(G1) | 7着 |
1992/11/29 | ジャパンC(G1) | 1着 |
1992/12/27 | 有馬記念(G1) | 11着 |
骨折 | 左前トウ骨の剥離骨折(宝塚記念の1週間前) | 3回目 |
1993/12/26 | 有馬記念(G1) | 1着 |
骨折 | 左前トウ骨(2回目) | 4回目の骨折により引退 |
1995年 | JRA顕彰馬に選ばれ得る | |
2013年8月30日 | 牡25歳 | 没 |
4度も骨折を繰り返した理由
JRAが公式で発表しているとおり、500kgの馬体を支えるサラブレッドに骨折は付きもの、一流馬となればスピードが加わり脚には何トンという力が加わります。
トウカイテオーは他馬と比べ柔軟性に優れていたため、圧倒的な走りと成績を残しました。
しかし、この柔軟性が代償となり4度の骨折に繋がったとされています。
賢い馬だった
1993年の有馬記念には田原騎手の指示に素早く対応するトウカイテイオーの賢さと柔軟性のある動きが映っています。
ぜひ4コーナーを抜ける瞬間をご覧ください。
熱狂的な競馬ファンが多かった
ビワハヤヒデの単勝馬券を買ったおっちゃんが有馬記念最後の直線での追い比べ中
「テイオー差せーーーーーーー!!!」
と叫んだようです。
トウカイテイオーは競馬ファンの心を虜にする存在だったのです。
ムチも入れずに4馬身差で圧勝!デビュー戦
1990年12月1日、中京・芝1800m3歳新馬戦がトウカイテイオーのデビュー戦です。
不良馬場で行われた本レースですが、終わってみればムチを一度もいれない4馬身離しての圧勝となりました。
また、
このコースは中京・芝1800mです。ダートではありません!
デビュー戦
「帝王時代の幕開け」と題された皐月賞
1991年4月、はじめてのG1勝利となったのが皐月賞です。
4コーナーを団子状態で抜けてきた馬群のなか、トウカイテイオーは手綱を持ったまま余裕の走りを見せていました。
2着に入線したシャコーグレイドが最後の直線で追い上げては来たものの、1発、2発ムチを打ったテイオーはまわりを圧倒する加速を見せます。
着差こそ1馬身ですが、圧倒的な力差を見せつけてG1を勝利しました。
ちなみに2着のシャコーグレイドは18頭立ての16番人気です。
G1初勝利
向かう所敵なし!横綱レースを見せつけた日本ダービー
1991年5月、トウカイテイオーは無敗の2冠を掛け東京優駿をむかえます。
最初のコーナーを抜ける頃には先頭から8番手という絶好のポジションに付け、残り250m付近でムチを一発打って加速、
これまた凄まじい末脚を見せつけ、向かうところ敵なしの圧勝となりました。
(2着レオダーバンとは3馬身差)
東京優駿
『世紀の一戦』といわれた天皇賞(春)
伝説のレースと語り継がれる有馬記念に対し、
「世紀の一戦」として受け継がれるのが1992年の第105回天皇賞(春)です。
この年の天皇賞は長距離王者として君臨していたメジロマックイーン、
そして未だ無敗のトウカイテイオーが初対決、
東西を代表するジョッキーがバチバチだったこともあり社会を巻き込んだレースとなったのです。
メジロマックイーンに騎乗する岡部騎手は「地の果てまで伸びていきそうな感じ」と感想を述べ、
トウカイテイオーに騎乗する武豊騎手は「あちらが地の果てなら、こちらは天の果てまで伸びますよ」と、
両者バチバチの様子が伺えますね。
天皇賞(春)メジロマックイーン vs トウカイテイオー
結局、距離適正で勝ったメジロマックイーンが天皇賞を制し、トウカイテイオーは最後の直線で伸びずに5着、
この社会現象の様子は『ウマ娘プリティーダービー』でも鮮明に描かれています。
トウカイテイオーまとめ
- 3度の骨折を繰り返しながら364日ぶりの有馬記念を制した名馬
- デビューから6戦目までムチいらずの圧勝レースばかり
- 武器である柔軟性が代償となり生涯で4度の骨折を経験する
- 騎手の指示に素早く対応する賢さもあった
- 中間距離適正
- 顕彰馬に選ばれる(1995年)